あしたは、Cannons and Musesのパフォーマンスの日。
パフォーマンスアートは、技巧である前に、思想がなりより大事なのである。それに気がついている、Cannons and Musesのメンバーに誇りを持ちます。
でも、アーティストとして、やりとげなくてはならないことがあります。
自分たちを、外の、社会から来た人々に、自分たちの存在意義をアピールすること。
しかも、アートの力によって、アピールすること。
パフォーマンスは、その間に、死んでもいい、くらいのエネルギーでやらなくては、絶対に、他人に伝わらない。
イベント初日に、ムラカミヒロシ君が、銃の形をしたパン、予測よりずっと、固くて食べにくいでかい自家製パン一個を、40分かけて、食べ尽くしたエネルギーを私は評価します。お腹が痛くて、苦しんでいた。
それは、イスラエルのニスリーンという女性のアーティストへのオマージュでした。
彼女が、武器をアニメーションのイメージのメインにしているのを見て、ショックを受けたのだったね。だから、銃の形のパンを作った。
女性が、武器を、考えなくてはならない世界に対して、極東の非力な若者ができることって、なんだ?
以下は、ムラカミ君に、わたしが書いたメール。
------------------
わたしは、あなたが必死ででパンを食べるパフォーマンスをして欲しい。
彼女が、武器を考えなければならないように、シチュエーションに対し、
極東の男の子が、なんとかしたいと思い、非力を承知で、何かを起こそうとした事自体が、
とても、心を打つ。
そのことは、1回のパフォーマンスでは終わらない。
日本とイスラエル、と言う関係ではなくて、
女子と男子と言う関係で、
思う、ところが、今回は新鮮でした。
Cannons and Muses テルアビブのアディーナにも、プレムにも知らせたけど、あなたが、苦しんで食べたことが何より、大事なのです。
バターを使ってもいいから、食べ尽くしてください。
14.2.10
夜中に誰もいない橋を渡る
夜中に2時間くらい歩いた。寝ていたわけでもないのに、考え事をしていたら、一駅乗り越してしまった。面倒だから、歩くことにした。人も車もないど田舎の道。このあたりの、一駅はとても遠い。しばらく歩くと、川が見えてくる。川を渡る。風がびゅんびゅん。結構長い橋だった。水の音が聞こえる。遠くに人家がパラパラ。田んぼばかりの道。なんとなくなぜか、自分を罰したい気持ちもある。そうではなくて、何かから力をもらっているからなのかもしれない。高揚していたのかもしれない。いや実のところ、深く深く落ち込んでいるのかもしれない。理由はいくつもあってわからない。実は何も考えず歩いた。なぜなら、道を知らないから。考えて歩かないととんでもない方向へ行ってしまう。タクシーを拾う事もできたが、歩きたいと思った。決めたことはやり通す、と言ったことをしたかったと言い訳をしてみる。山を登り、引き返さないで、山の向こうに行く、みたいな。去った事はもう戻らない、何も、ということを、身体に叩き込まなくてはならない。叩いても叩いても、身体はなかなか、理解しない。ということかも、と理由を探す。ばかばかしいことをやり遂げることが、好きなだけの話かもしれない。学生さんの影響で、自分の本分を思い出しているのかもしれない。2時間くらいではまだまだ。
以下は、Cannons and Musesのオープニングのパフォーマンス。阪中君が、自分が担当した、Chayaという女の子のパフォーマンスを彼の身体で行う。コンセプトがいまいち、腑に落ちてないんですと、毎日彼は言う。メールで、Chayaにレクチャーしてもらおう、と言って、昨日は終わりにしていた。腑に落ちるまで、きっと、彼は、おしっこを漏らすことができない。おしっこを漏らす事自体が、目的になっては違うという気もするし、と迷う。彼は、実はなんでも迷い続けるタイプなのか、それとも、これについては迷っているのか、わたしには、判らない。まだ、彼については、わたしも知らないから。白い花の方が、Chaya。Chayaはおしっこを漏らしている。
水が身体をサーキュレートしているということを、体験、体現したいのだと、Chayaは書く。身体は、所詮、それだけのはずなのに、人間は、それだけとは言えないような活動をする。社会も、家族も、愛も、友情も、戦争も、ビルも、町も、都市も、何もかも、幻想であり、あっと言う間の、無意味な出来事とも、思える。人は死んだ時、尿道が緩んで、失禁する。それだけの生き物である、ということだけは、確かのように思う。
三島由紀夫の「豊饒の海」で、4巻にも及ぶ大ドラマの最後に何もかも、幻で何もなかったことかのように、言われてしまうシーンがあった。高校生の時それを読んだときは、技巧走った文章だと思って、ピンと来なかった。ハリウッド映画のとってつけたようなオチのようなものかもしれないとかんじていた。
でも、今は、わかる。

以下は、Cannons and Musesのオープニングのパフォーマンス。阪中君が、自分が担当した、Chayaという女の子のパフォーマンスを彼の身体で行う。コンセプトがいまいち、腑に落ちてないんですと、毎日彼は言う。メールで、Chayaにレクチャーしてもらおう、と言って、昨日は終わりにしていた。腑に落ちるまで、きっと、彼は、おしっこを漏らすことができない。おしっこを漏らす事自体が、目的になっては違うという気もするし、と迷う。彼は、実はなんでも迷い続けるタイプなのか、それとも、これについては迷っているのか、わたしには、判らない。まだ、彼については、わたしも知らないから。白い花の方が、Chaya。Chayaはおしっこを漏らしている。
水が身体をサーキュレートしているということを、体験、体現したいのだと、Chayaは書く。身体は、所詮、それだけのはずなのに、人間は、それだけとは言えないような活動をする。社会も、家族も、愛も、友情も、戦争も、ビルも、町も、都市も、何もかも、幻想であり、あっと言う間の、無意味な出来事とも、思える。人は死んだ時、尿道が緩んで、失禁する。それだけの生き物である、ということだけは、確かのように思う。
三島由紀夫の「豊饒の海」で、4巻にも及ぶ大ドラマの最後に何もかも、幻で何もなかったことかのように、言われてしまうシーンがあった。高校生の時それを読んだときは、技巧走った文章だと思って、ピンと来なかった。ハリウッド映画のとってつけたようなオチのようなものかもしれないとかんじていた。
でも、今は、わかる。
13.2.10
What lovely performances!
以下は、C&Mのテルアビブ側のコーディネーターに書いたメール。
-------------------------------
Hello, Premshay
Yesterday, it was opening of the exhibition.
Students worked very well. They are very happy to work it. Thank you very much! and big love to you!!
Yesterday Japanese students did 2 performances.
Takahumi wanted to do Chaya's performance. He laied down on the floor with flower in his mouth.
He worked more than 1 hour.
He wanted piss like Chaya, but could not.
Instead, he concentrated to do very very much. Finally he gave up,
because his friend suggested him that it was time to close the space.
And than he said that he would try to do it tomorrow more.
He love her concept very mush, you know?
Hiroshi did a performance for Nisreen.
He cooked breads by himself, which were shaped pistol.
He ate one after he took from a woman who tried to kill him by the "pistol".
The bread was too hard and big to eat.
He needed to take 40min to eat one. looked very painful for his stomach.
He said he wanted to support woman who needed to take "pitsol" on her hand.
Nisreeen sent to his a animation movie, about pistol.
So Hiroshi worried her, the situation why a woman had to think about weapon.
I feel proud of them, their energy to make art with their effort.
What lovely boys!!
Today, we would have a little bit public opening party.
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Hello, Premshay
Yesterday, it was opening of the exhibition.
Students worked very well. They are very happy to work it. Thank you very much! and big love to you!!
Yesterday Japanese students did 2 performances.
Takahumi wanted to do Chaya's performance. He laied down on the floor with flower in his mouth.
He worked more than 1 hour.
He wanted piss like Chaya, but could not.
Instead, he concentrated to do very very much. Finally he gave up,
because his friend suggested him that it was time to close the space.
And than he said that he would try to do it tomorrow more.
He love her concept very mush, you know?
Hiroshi did a performance for Nisreen.
He cooked breads by himself, which were shaped pistol.
He ate one after he took from a woman who tried to kill him by the "pistol".
The bread was too hard and big to eat.
He needed to take 40min to eat one. looked very painful for his stomach.
He said he wanted to support woman who needed to take "pitsol" on her hand.
Nisreeen sent to his a animation movie, about pistol.
So Hiroshi worried her, the situation why a woman had to think about weapon.
I feel proud of them, their energy to make art with their effort.
What lovely boys!!
Today, we would have a little bit public opening party.
11.2.10
C&M マヤ・ゲルフマンの詩
明日が、「イスラエルの若いアーティストとの対話」展の初日。
自分が20歳から26歳くらいの頃を思い出してみる。個展は2度ほどしていたけど、個展を開けば、だれかがやって来るとばかり思っていた。当時は、「画壇」みたいな言葉も実体もまだ、リアリティがあって、そういうのがいやで、NYのアートシーンにあこがれていた。お金をためて、NYに行きたいって思ってた。
さて、
わたしの駐場日程は、
12日 14:30〜 たぶん、20:00まで
13日 16:00〜 たぶん、20:00まで オープニング
15日 14:30〜 16:00くらいまで
16日 18:00〜20:00 パフォーマンス見学
マヤ・ゲルフマンの、イスラエルと言う国について書いた詩をひとつ、ここに紹介。
人々は集まって都市を築いた それぞれがひとりぼっちにならないために。
孤立していると 恐ろしく危険な見知らぬ者に攻撃されてしまう。
安全と可能性の幻想を信じるのはたやすい
そういう輩の群れに囲まれているならなおさら。 私たちは 他者たちを区別することで まとまりを持つ
彼らとともにいながら。 うわべだけでは。 人々は混み合った場所にいっしょに住むためにやってきた。
なぜなら私たちの行っていることの回りには 死の脅威だらけ。 恐怖の果てには、
私たちが行い 進んで行こうとしていることの果てでは、
それは突然来るだろう、 しかし私たちが叫んでいるのを聞く人はいない
私たちは中心を作り グループを組織した。
脅威はそのグループのあいだでは重要課題である。
しかし 個人としては 私たちはバラバラであり 関心がないと感じている。 おかしなことには その都市の中では私たちは まるで
完全に孤立しているかのように振る舞う。 この場所は私たちのものであり
そして 他のすべてが野蛮な侵入者であるかのように。
まるで彼らの事件は 彼らのことでも 私たちのことでもないかのように。
わたしたちは 彼らと共にいることの選択肢を遠ざけている。
私たちはまるで るつぼの中に投げ込まれたかのようにふるまう、
選択の余地がないかのように、
まるで 押し合いへしあいから逃げ場を失っているかように、
しかし実のところ、
私たちが 外からの 恐ろしく敵意に満ちたものを引き込んでいる。
わたしたちは脅威の隣人である わたしたちは恐怖にとりつかれている。
孤立するか 共存するか。
自分が20歳から26歳くらいの頃を思い出してみる。個展は2度ほどしていたけど、個展を開けば、だれかがやって来るとばかり思っていた。当時は、「画壇」みたいな言葉も実体もまだ、リアリティがあって、そういうのがいやで、NYのアートシーンにあこがれていた。お金をためて、NYに行きたいって思ってた。
さて、
わたしの駐場日程は、
12日 14:30〜 たぶん、20:00まで
13日 16:00〜 たぶん、20:00まで オープニング
15日 14:30〜 16:00くらいまで
16日 18:00〜20:00 パフォーマンス見学
マヤ・ゲルフマンの、イスラエルと言う国について書いた詩をひとつ、ここに紹介。
人々は集まって都市を築いた それぞれがひとりぼっちにならないために。
孤立していると 恐ろしく危険な見知らぬ者に攻撃されてしまう。
安全と可能性の幻想を信じるのはたやすい
そういう輩の群れに囲まれているならなおさら。 私たちは 他者たちを区別することで まとまりを持つ
彼らとともにいながら。 うわべだけでは。 人々は混み合った場所にいっしょに住むためにやってきた。
なぜなら私たちの行っていることの回りには 死の脅威だらけ。 恐怖の果てには、
私たちが行い 進んで行こうとしていることの果てでは、
それは突然来るだろう、 しかし私たちが叫んでいるのを聞く人はいない
私たちは中心を作り グループを組織した。
脅威はそのグループのあいだでは重要課題である。
しかし 個人としては 私たちはバラバラであり 関心がないと感じている。 おかしなことには その都市の中では私たちは まるで
完全に孤立しているかのように振る舞う。 この場所は私たちのものであり
そして 他のすべてが野蛮な侵入者であるかのように。
まるで彼らの事件は 彼らのことでも 私たちのことでもないかのように。
わたしたちは 彼らと共にいることの選択肢を遠ざけている。
私たちはまるで るつぼの中に投げ込まれたかのようにふるまう、
選択の余地がないかのように、
まるで 押し合いへしあいから逃げ場を失っているかように、
しかし実のところ、
私たちが 外からの 恐ろしく敵意に満ちたものを引き込んでいる。
わたしたちは脅威の隣人である わたしたちは恐怖にとりつかれている。
孤立するか 共存するか。
C&M マヤ・ゲルフマンのホームページ
本日多摩美に搬入、設置。搬入と言っても、多くは、デジタルデータなので、何か、搬入した気にはなれず、展示が進んでみるまでは不安にかられていました。予定とは展示室が変わったけれど、前の場所より、確実に良い部屋。エンゲキの練習のための部屋なので、天井が高く、床は、ゴムみたいなところです。見栄えはとても、よさそうです。予想より、ずっと面白そうな展覧会になりました。まだ、あさって、開場前に、手直ししなくてはならない、ところあるんですけど。
イスラエルの大使館の人が、見に来るよ、と学生さんに話したら、「何しに来るんですか」と。確かに、アートと大使館のつながりが見えないと、なんだろうと思うよね。ここは、面白いところ。大使館の人には、「交流にイスラエルを選んでくださってありがとうございます」と言われました。アートって、文化なんだ。
Maya Gelfmanの詩を訳しました。3人で手わけして訳し、わたしが最終手直し(という能力があるからではなくて、全体のトーンを揃えるために)しました。なかなか興味深い詩でした。イスラエルの建国について、微妙な考えを述べています。
彼女のホームページは、なかなか、いかしています。
写真はG君が、イスラエルのアーティストに送った写真を勝手に流用しました。展示風景。まだ、展示作業が始まったばかりの時のようです。美術館的気配です。奥に映像作品があります。
イスラエルの大使館の人が、見に来るよ、と学生さんに話したら、「何しに来るんですか」と。確かに、アートと大使館のつながりが見えないと、なんだろうと思うよね。ここは、面白いところ。大使館の人には、「交流にイスラエルを選んでくださってありがとうございます」と言われました。アートって、文化なんだ。
Maya Gelfmanの詩を訳しました。3人で手わけして訳し、わたしが最終手直し(という能力があるからではなくて、全体のトーンを揃えるために)しました。なかなか興味深い詩でした。イスラエルの建国について、微妙な考えを述べています。
彼女のホームページは、なかなか、いかしています。
写真はG君が、イスラエルのアーティストに送った写真を勝手に流用しました。展示風景。まだ、展示作業が始まったばかりの時のようです。美術館的気配です。奥に映像作品があります。
7.2.10
6.2.10
Wifi 散歩
今日の午前中は、iPod touchを持って、近所を散歩する。Fonが実際どのくらい共有できるか、テストしたかった。うちのFONのルーターは、わたしのマンションの一室から、4件隣までは、使えるが、1階下はだめ。FONマップというのが、あって、近所にあとこちで、使っていることはわかっているので、散歩して、その建物に、すり寄ってみる。..........だが、どこもだめである。
なんだ。Fonは機能しないみたい。会員同士共有できるというコミュニティのセンスが売りなのに、何にもならないではないか。Fonのコミュニティに書いてみよう。
(因に、もしかして、知らない人のために、説明しますと、iPod touchはモバイルなのですが、電話ではないので、Wifi環境がないとインターネットに接続できません。つまり、まあ、ヤドカリ型なのです。もちろん、wifiのプロバイダーにお金を払えば、いいわけです。FONに関しては、家にルーターをつけ(1980円払って)、このことにより、世界中のFONのルーター使用者のルーターを共有しあえることに、なっています。また、livedoorと提携しているので、livedoorのwifiも受信できます。)
他のWifiは、ほぼどこでも、感じることができる。ずいぶん、たくさん飛び交っているものだ。おどろく。勿論、フリーで使えるところは、とても、限られている。
それにしても、20年前には、こういうデンパはなかった。目に見えない地図が、クモの巣のように張り巡らされているのが、手に触れるようにわかる(と感じることができる)。これで、空間認識が変わらない方がおかしい。他人とのつながり方だって、違う。
だからって、目に見えて、重さがさわって判るものが、希薄になったわけではないと思う。センスが弱くなったとは思わない。幅が広くなったからと言って、薄くなるということではないだろう。そういう理解のしかた事体が、違うのだ。たぶん、言葉は遅い。
いくら、携帯でつながっても、出る気がなければ、何日も、音信不通になる。家までおしかけたくなるストーカーは、これにいらだつのかも。
1世紀前から、人は家まで行かなくては、まず、誰にも会えなかった。行っても留守だということは、ある。あとは、職場と行きつけの店と路上。
時間の使い方にしても、違ってくる。
部屋の使い方も違ってくる。
他人に対する思い入れは違うだろう。何が違うか、考えたい。むやみに違っていると決めつける必要もない。誰だったか、経済学者が、「21世紀になって変わったと言っても、まだまだ19世紀のネタでやれる部分もある」と言っていた。だが、やはり、驚くよ。
少なくとも、ものごとを、時間軸で感じる軸とともに、構成で考えるセンスは、ずっと増してきたと思う。いくつかのマッピングの方法を、まぜながら、認識、そしてプランしていく、ことになるみたい。
なんて、もしやして、すんごく当たり前のことを、今更ながらに考えているだけかもしれませんけどね。
読もうってわけでもないが、一応、みつけてみた。Martin Dodge先生のブログ。
なんだ。Fonは機能しないみたい。会員同士共有できるというコミュニティのセンスが売りなのに、何にもならないではないか。Fonのコミュニティに書いてみよう。
(因に、もしかして、知らない人のために、説明しますと、iPod touchはモバイルなのですが、電話ではないので、Wifi環境がないとインターネットに接続できません。つまり、まあ、ヤドカリ型なのです。もちろん、wifiのプロバイダーにお金を払えば、いいわけです。FONに関しては、家にルーターをつけ(1980円払って)、このことにより、世界中のFONのルーター使用者のルーターを共有しあえることに、なっています。また、livedoorと提携しているので、livedoorのwifiも受信できます。)
他のWifiは、ほぼどこでも、感じることができる。ずいぶん、たくさん飛び交っているものだ。おどろく。勿論、フリーで使えるところは、とても、限られている。
それにしても、20年前には、こういうデンパはなかった。目に見えない地図が、クモの巣のように張り巡らされているのが、手に触れるようにわかる(と感じることができる)。これで、空間認識が変わらない方がおかしい。他人とのつながり方だって、違う。
だからって、目に見えて、重さがさわって判るものが、希薄になったわけではないと思う。センスが弱くなったとは思わない。幅が広くなったからと言って、薄くなるということではないだろう。そういう理解のしかた事体が、違うのだ。たぶん、言葉は遅い。
いくら、携帯でつながっても、出る気がなければ、何日も、音信不通になる。家までおしかけたくなるストーカーは、これにいらだつのかも。
1世紀前から、人は家まで行かなくては、まず、誰にも会えなかった。行っても留守だということは、ある。あとは、職場と行きつけの店と路上。
時間の使い方にしても、違ってくる。
部屋の使い方も違ってくる。
他人に対する思い入れは違うだろう。何が違うか、考えたい。むやみに違っていると決めつける必要もない。誰だったか、経済学者が、「21世紀になって変わったと言っても、まだまだ19世紀のネタでやれる部分もある」と言っていた。だが、やはり、驚くよ。
少なくとも、ものごとを、時間軸で感じる軸とともに、構成で考えるセンスは、ずっと増してきたと思う。いくつかのマッピングの方法を、まぜながら、認識、そしてプランしていく、ことになるみたい。
なんて、もしやして、すんごく当たり前のことを、今更ながらに考えているだけかもしれませんけどね。
読もうってわけでもないが、一応、みつけてみた。Martin Dodge先生のブログ。
4.2.10
エスプレッソカップの裏底
今日は、神保町のエチオピアでカレーを食べて、それから、近代美術館でケントリッチ展を見た。楽しくて、じっくり見たかったが、連れが、展示の仕方に不満があるらしくとっとと出てしまったので、気になって、あまりゆっくり見られなかった。(と言っても3時間は見ていたみたい。外に出たら、友達が凍えていた。)。月世界の作品が一番好きだった。エスプレッソコーヒーのカップの裏を覗くと、宇宙(あるいはミクロの世界)が見えて、エスプレッソマシーンが、ロケットになって飛んで行くのだ。彼の技法の集大成といった感じと、陽気さと、イマジネーションの自由さがつまっていて、良かった。彼の作品の中では、かなり軽めなんでしょうけど。
ところで、若い頃の南アフリカの人種問題、労働者問題などをテーマにしていたのは、だんだん、どこに行ってしまったのだろう。美術館の説明だと、「普遍的になったきた」と言ってすましているけど。こういうことは、よくある。
若い時は、何か、重要で大きな問題やテーマを取り扱うことで、自分を大きく見せたいということがある。そうこうしている内に、自分の本分に気がついていった、とか。
ただし、病と死を扱う、ということでは、続いていっているのではないかな。病と死をユーモアにつなげてみるのは、まだ、わたしには難しいけど、感じはよくわかる。父も最後のころはベットで「かゆい、いたい、ねむい」を、自嘲的に、三拍子にしてつぶやいていたっけな。人間生きていること事体が、笑える出来事なんだしな〜。深刻なことはおかしくもある。ギリシャでは、貴族以外の人間におこることは、すべて、喜劇だとされていたらしい。
それから、確かに、展示の仕方に問いがないわけではないと思う。アニメーション作品、しかもカラーがかなり似ているものを一部屋に5つも展示していた部屋で見たものは、記憶の中でまざってコラージュになってしまい、印象が薄い。じっくり見ることがなんとなく、困難になる。
神保町の古本屋の外に、intercommunicationが400円で出ていたので、つい、2冊も買ってしまったけど、ハイテクアートものの、10年前の本は、古すぎだね。帰りの電車で、失敗した〜、と思った。つまり、ハイテクアートって、そういうもんだ。
C&Mに、研究班というのが、確かできて、1月末に読書会をすると彼らは言っていたけど、やんなかったね。そのネタになる予定だった、スーザン・ソンタグの本がアマゾンから届いた。先日、写真美術館で、気になってしょうがなかった問いについて、ちょうど、考察が書かれているようだ。もう一冊届いたのは、「クルーグマン教授の経済入門」。
ところで、若い頃の南アフリカの人種問題、労働者問題などをテーマにしていたのは、だんだん、どこに行ってしまったのだろう。美術館の説明だと、「普遍的になったきた」と言ってすましているけど。こういうことは、よくある。
若い時は、何か、重要で大きな問題やテーマを取り扱うことで、自分を大きく見せたいということがある。そうこうしている内に、自分の本分に気がついていった、とか。
ただし、病と死を扱う、ということでは、続いていっているのではないかな。病と死をユーモアにつなげてみるのは、まだ、わたしには難しいけど、感じはよくわかる。父も最後のころはベットで「かゆい、いたい、ねむい」を、自嘲的に、三拍子にしてつぶやいていたっけな。人間生きていること事体が、笑える出来事なんだしな〜。深刻なことはおかしくもある。ギリシャでは、貴族以外の人間におこることは、すべて、喜劇だとされていたらしい。
それから、確かに、展示の仕方に問いがないわけではないと思う。アニメーション作品、しかもカラーがかなり似ているものを一部屋に5つも展示していた部屋で見たものは、記憶の中でまざってコラージュになってしまい、印象が薄い。じっくり見ることがなんとなく、困難になる。
神保町の古本屋の外に、intercommunicationが400円で出ていたので、つい、2冊も買ってしまったけど、ハイテクアートものの、10年前の本は、古すぎだね。帰りの電車で、失敗した〜、と思った。つまり、ハイテクアートって、そういうもんだ。
C&Mに、研究班というのが、確かできて、1月末に読書会をすると彼らは言っていたけど、やんなかったね。そのネタになる予定だった、スーザン・ソンタグの本がアマゾンから届いた。先日、写真美術館で、気になってしょうがなかった問いについて、ちょうど、考察が書かれているようだ。もう一冊届いたのは、「クルーグマン教授の経済入門」。
2.2.10
BPtS, CwM
Best Place to Sleep とCome with Meの2つの作品は、ひとりで行うか、複数で行うかの違いがありますが、見た目はほぼ同じです。以下の18カ所にて行ってきました。去年は6月以降やっておりません。台湾では、なぜか、気乗りがしませんでした。
また、今年も行おうと思います。ライフワークにしてなんぼ、というようなものかもしれないので。ばばあになってもやれますように。
因に、関係ないですが、今日、やっとFONが開通しました。これも、去年の6月にルーターを買っただけで、接続してませんでした。それでやっとiPod touchが、アクティブになりました。散歩が楽しみだな〜。
Best place to Sleep / Come with Me
Essen 2007 07
Hannover 2007 08
GInza 1chome 2007 09
Shibuya 2007 10
Marunouchi ~ Kyobashi 2007 10
Chain Mai 2007 11
Ginza 2007 12
ShinanoMachi 2008 04
Poland 2008 06
Ishikawacho 2008 07
Watarase 2008 08
Sakuragicho 2008 09
Boston 2008 10
Toronto 2008 10
Yanaka 2008 11
Obama & Me 2009 01
Ginza 1~4chome 2009 04
Zagreb 2009 06
以下は、写真で遊んだ作品(とよんでよければ)。iPhoneが発売されたばかりのころ、2008年7月に石川町で撮った写真を使いました。以前にもブログで紹介したけど。拡大してみてね〜。因に、わたしはiPhoneは使ってません。
また、今年も行おうと思います。ライフワークにしてなんぼ、というようなものかもしれないので。ばばあになってもやれますように。
因に、関係ないですが、今日、やっとFONが開通しました。これも、去年の6月にルーターを買っただけで、接続してませんでした。それでやっとiPod touchが、アクティブになりました。散歩が楽しみだな〜。
Best place to Sleep / Come with Me
Essen 2007 07
Hannover 2007 08
GInza 1chome 2007 09
Shibuya 2007 10
Marunouchi ~ Kyobashi 2007 10
Chain Mai 2007 11
Ginza 2007 12
ShinanoMachi 2008 04
Poland 2008 06
Ishikawacho 2008 07
Watarase 2008 08
Sakuragicho 2008 09
Boston 2008 10
Toronto 2008 10
Yanaka 2008 11
Obama & Me 2009 01
Ginza 1~4chome 2009 04
Zagreb 2009 06
以下は、写真で遊んだ作品(とよんでよければ)。iPhoneが発売されたばかりのころ、2008年7月に石川町で撮った写真を使いました。以前にもブログで紹介したけど。拡大してみてね〜。因に、わたしはiPhoneは使ってません。
1.2.10
対話展
東京より数時間遅くなりましたが、うちのまわりも雪になりました。雪って、勝手に、情緒的な気分になってしまいますね。お酒を少しあたためて、飲むことにしました。
2008年は、2009年の秋に行うイベントの企画を立てていました。でも、そのプレイベント中に、何か、やたらと妨害が入ったので、2009年に企画は、やめることにしたという苦しい経験がありました。いろんな人にあやまりました。でも、不思議なほどの妨害でしたね。でも、それは、何モノかが私に「お知らせ」をしようと、悪魔の力を使って、行ったことなのかと今では思っています。もし、昨年秋に、企画を実行していたら、家でおこっていることとの狭間で、わたしは、想像ができないくらい、むずかしいことになっていたに違い有りません。雪を見ながら、しんみりです。あのプレイベントの場所を紹介してくれた人も、そういえば、その後2ヶ月ほどで突然、亡くなりました。無理なことが続いていたのではないでしょうか?
おととい、ちょっとでかけて、いろいろな人に会うことがあり、わたしのアイデアを話したりしたところ、すんなりと理解されました。不思議ですね。でも、あまり、表面的なリアクションで、物事を判断せず、背景などを考えながら、新しい歩みをしたいと思います。
今年は、どんな形で作品の発表をはじめるか、思案中。やはり、話が、やはらかく進むところで、行うべきでしょう。どうにも、理解できないところには、無理して行きません。と、宣言しておこっと。つい無理しちゃうのよね........
以下、件のプレイベントで手伝ってくれたG君に代表を務めてもらっている現在のプロジェクト。わたしは、コーディネーターやアドバイザーの対場であります。やるのは、若者たちだ!! わたしは、ネタだけ、運んでいるだけです。きのうは、彼らとSkypeで会議をして、楽しかった〜。
「イスラエルの若いアーティストからのプレゼンテーションとの対話展(略して、対話展)」 多摩美、上野毛校、鏡の間(演劇演習室)
2月12日〜17日 日曜休み 14:30〜20:00
テルアビブの学生の作品の紹介展、写真、ビデオ、アニメーションなど。日本側の学生たちがホストになって、彼らの作品を紹介す
る。彼らの作品を再現したり、e-mailやSkypeを通して会話で、話し合いながら、共同作業なども行う。テルアビブ側8人に、日本側
は9人。ほぼ1対1で組んで、コミュニケーションをしている。
13日 16:00 パフォーマンス(日本の学生によるイスラエルのアーティストの作品の再現パフォ)
17:00 オープニングパーティ しやかしにきてくなはい
16日 19:00 テルアビブとのリアルタイムパフォーマンス
桜木町にて。たぶん2008年9月30日。写真は、Jeremy Coleman。
2008年は、2009年の秋に行うイベントの企画を立てていました。でも、そのプレイベント中に、何か、やたらと妨害が入ったので、2009年に企画は、やめることにしたという苦しい経験がありました。いろんな人にあやまりました。でも、不思議なほどの妨害でしたね。でも、それは、何モノかが私に「お知らせ」をしようと、悪魔の力を使って、行ったことなのかと今では思っています。もし、昨年秋に、企画を実行していたら、家でおこっていることとの狭間で、わたしは、想像ができないくらい、むずかしいことになっていたに違い有りません。雪を見ながら、しんみりです。あのプレイベントの場所を紹介してくれた人も、そういえば、その後2ヶ月ほどで突然、亡くなりました。無理なことが続いていたのではないでしょうか?
おととい、ちょっとでかけて、いろいろな人に会うことがあり、わたしのアイデアを話したりしたところ、すんなりと理解されました。不思議ですね。でも、あまり、表面的なリアクションで、物事を判断せず、背景などを考えながら、新しい歩みをしたいと思います。
今年は、どんな形で作品の発表をはじめるか、思案中。やはり、話が、やはらかく進むところで、行うべきでしょう。どうにも、理解できないところには、無理して行きません。と、宣言しておこっと。つい無理しちゃうのよね........
以下、件のプレイベントで手伝ってくれたG君に代表を務めてもらっている現在のプロジェクト。わたしは、コーディネーターやアドバイザーの対場であります。やるのは、若者たちだ!! わたしは、ネタだけ、運んでいるだけです。きのうは、彼らとSkypeで会議をして、楽しかった〜。
「イスラエルの若いアーティストからのプレゼンテーションとの対話展(略して、対話展)」 多摩美、上野毛校、鏡の間(演劇演習室)
2月12日〜17日 日曜休み 14:30〜20:00
テルアビブの学生の作品の紹介展、写真、ビデオ、アニメーションなど。日本側の学生たちがホストになって、彼らの作品を紹介す
る。彼らの作品を再現したり、e-mailやSkypeを通して会話で、話し合いながら、共同作業なども行う。テルアビブ側8人に、日本側
は9人。ほぼ1対1で組んで、コミュニケーションをしている。
13日 16:00 パフォーマンス(日本の学生によるイスラエルのアーティストの作品の再現パフォ)
17:00 オープニングパーティ しやかしにきてくなはい
16日 19:00 テルアビブとのリアルタイムパフォーマンス
桜木町にて。たぶん2008年9月30日。写真は、Jeremy Coleman。