コンビニとスーパーと駐車場をマーキング |
私は「公共的なこと」にまだ、期待をかけているけれど、とっくに、興味がないという人は多い。それは、よくわかる。私も、ぎりぎりだ。
最近、よく聞くようになってきて、議論もさまざまなされているけれど、実践ともなると、返って、よくない状況も見受けられる。
残念ながら最近の動きは、「政府や地方公共団体側」「大企業」の都合だと言うことを隠し、「みなさんのためですよ」とみせかけているように見えたりする。
では、市民サイドからの提案されているパブリック、どうなっている?
あったとして、それはかなり限られた人たちではないですか?
私が、路上で表現をし始めたのは、アートスペースでしたかったけど、お金を払ったり、オーナーに信頼を得るためのプロセスが待ちきれなかったからだ。そうするうちに、ストリートの事情とか、そこに起きている様々なことに興味が出て来た。
ただ、それはいつも、都市空間であったし、あるいは、フェスティバル期間中だった。前者の場合は、ゲリラ的でも、本来、私も都市の利用者であるという前提があり、堂々としていられた。ある意味、その機能を楽しんでいるともいえる。後者の場合は、オーガナイザーが地元とも交渉をしてくれていた。
しかし、
現在関わっているディスロケイト12では、そのどれとも違う。住宅街であり、公共空間があったとしても、それは私の場所ではない。そして、イベントではあるけれど、フェスティバルではないので、地元の方が関わってない。
私は、地元の人たちが、大事に町環境を作ってきたことを、リスペクトしたい。「パブリック」の名で、彼等の邪魔をしたくない。それに対して、法的にはゲリラであっても、気持ち的には、緩衝剤になるような立場で、やりたいのだ。それを「パブリック」なアートと呼んで良いのか、ちょっと最近は、なやむ。
異人ではなくて、旅人として関わろう。「公共」とは対極の立場から。
「お邪魔してます。ちょっと話しませんか?」
当初、プロジェクトの名前を、皮肉をこめて「パブリックサービスセンター」と名付けてみた。その「まぬけ」な響きを意識して。だが、もっと目的をはっきりさせた方がいいかもしれない。
「パブリック?サービスセンター」とか?
「パブリックではないサービスセンター」とか?
「旅人パブリックサービスセンター」とか?
(この後、ミーティングがあり、プライアスさんとエマさんといろいろと話し合った結果、「パブリック・サービス・センター」というシンプルに意味曖昧で間抜けなタイトルのままで行く事になった....)