28.2.11

BoilMe Valencia

http://www.facebook.com/event.php?eid=157498530970032


Facebookで参加を呼びかけました。どのくらいの反応があるか、わかりませんが。

日本人には、あまりたくさん送りませんでした。
お知らせが届いた方は、期待しているって意味です♡

25.2.11

次回、BoilMe ご参加案内

先日、行田で初演(て言い方はオーバーか?)した参加型パフォーマンス作品「BoilMe vol.2」は、3月12日19:00 に始まるスペインはバレンシアでのイベントにて、2回めを行います。イベントは、これ。この日は3組の外国からのアーティストが紹介されます。http://www.sinberifora.com/
私の紹介ページは



日本時間は、3月13日午前3時
無理な時間帯ですが、もし、良ければ、ご参加を。これは、イベント開始時間なので、私のパフォーマンスが何時になるか、それはまだわかりませんが、たぶん、最初になると思います。tweetでご連絡します。私のtwitterアカウントは、sakikohechimaです。まだ私をフォローしてないかたは、まずは、フォローしてください。それから、参加するかもの表明として、#BoilMeをツイートして、おいてくださるとうれしいです。

日本語でも、英語でも、もしわかるのなら、スペイン語でもOK。どんな言語でもどうぞ。アラビア語、ハングル、中国語。
会場では私のアカウントがプロジェクターでスクリーンに表示されますが、皆さんは#BoilMeのページをご覧になってください。ただし、反映のスピードが、少々まちまちになるらしいです。すでに、バレンシアの人からフォローの準備を受けてます。

一回目のBoilMeのご案内
一回目のBoilMeの報告


私の今回のスペインでの活動は、これに先立つ3月1日〜8日のイベントFEMに参加するのが、メインです。
http://www.gresolart.com/web///gresol-content&categoria=79&seccio=2&activitat=78
こちらは、フェミニズム系のフェスティバルのようです。1回のパフォーマンスと、ジローナ大学でのワークショップがあります。
こちらでは「Blind Game」というDurationのパフォーマンスを予定しています。
それから、ワークショップは「事の運びCarrying」というのをしようと思っていますが、これは、初めてするものなので、ちょっと、計画をあれこれ、まだ考えています。

空港はバルセロナなので、観光も少しして来ようと思ってます。私が観光するって行っても、建物を見てまわって散歩して、カフェでお茶を飲むというようなことだけど。

22.2.11

BoilMe報告

日曜日に、行田のパン屋で、「BoilMe」を行いました。おかげさまで、ほぼ成功しました。皆さんも楽しかったみたいです。

東京からのTwitter参加が4名。のぎちん、タカコさん、サトコちゃん、まりこさん(電車の中から)。愛すべき女子たち。
現地会場でのTwitter参加も4名。野本兄弟、直方平さん、ビクター。陽気な男子たち。
この性別の偏りには、理由はあるだろうけど、まあ、偶然に等しいでしょう。
ご参加くださった方に感謝です。

お湯も順調にわき上がりました。98.5℃くらいにはなりました。100℃まではいかないこと、小学校の理科で、学んでました。水道水は、純粋ではないですから。
お湯が沸くことと、タイムラインが、ふつふつすることの、関係は、わりと、気づいてもらったみたいです。地味に上がって行く数字の私のツイートと、様子をうかがっている皆さんのラフな会話のアンバランスが、楽しかった。しかも、ライブです。本当にライブって感じでした。時間を手のとるように、しかも、「参加者」とともに、感じました。

欲を言えば、私のアカウントのタイムラインに、もっと別の関係ないツイートがいろいろ出れば良かったな。出たのは、だいたい、7件くらい。リビアについてのニュースと、アルジャジーラのニュース、「エジプトの博物館の盗難事件」のツイートがありました。それも世界です、ということで。

それから、ステージが少し高くなっているので、お湯の沸き方が、下にいる皆さんにはあまり見えなかったかも。湯気、見えたかな。部屋の気温がかなり高かったので、湯気は薄かったようです。

それから、お茶を入れる前に、パン屋さんがいつも出しているシチューが出始めて、お茶を入れるタイミングをなくしてしまいました。次の人が始まっている中、お茶を配りましたが、お茶がちょっと風邪引いてたみたい。まずかった〜。

など、反省事項はありますが、協力してくれた方たちのおかげで楽しくなりました。現地にいない人の「妄想力」も興味深いものがありました。見えない方が、想像力が増すみたい。

_____

これは、3月12日に、バレンシアでも行おうと思います。あっちが、夜の公演だと、日本は夜中になって、参加しにくいですが、何時かな? 聞いておきますので、良かったら、ご参加ください。英語やスペイン語でなくてもOKです。

#BoilMe の表記のしかたは、小文字大文字も関係ないし、スペースがはいっても、反映されることがわかりました。それに、会場では私のアカウントを表示しますので、ほぼ、リアルタイムで、見ることができています。

ちなみに、今回の「パン屋」はとてもにぎやかでした。パフォーマンスも多かったし、人も多かった。笑いと集中力に満ちてました。


14.2.11

文脈の地域差/美意識を解放する

ちょっと疲労気味なので、日記などを書いてみる。3331のレジデンスプログラムのことと、メディア芸術祭のこと。

  おとといは3331アーツ千代田に行った。東南アジアのアーティストが、招待されて来ている。私はシンガポールのアーティストのジェレミーと2004年からの知り合いなので、彼のワークショップに出てみた。小学生向けのものなので、どう指導するのかしらと思って参加したわけだが、子供といっしょにお絵描きするはめになり、結局、指導を受けた(笑)。妖怪の絵を描いて、それに電池仕掛けのぴかぴかするものをつけて仕上げるんだ。妖怪は、その辺の子供ごときより、もっとへんちくりんなものを描く自信はあったけど、私の電気の知識が、幼稚園レベルなので、火を噴いちゃった。あきらめて、ほったらかしていたら、ジェレミーが修理して完成してくれた。
  それから、このイベントの担当のひとりのエマさんが、ぜひ紹介したいということで、香港のリーチュンフンさんと作品の紹介しあいをした。彼は、香港で、公営のコミュニティスペースを間借りを拠点とした、若いアーティスト10人くらいのグループのメンバーである。近所の人との関わり合いの企画の他、中国政府へのプロテスト(抗議)イベントを、アクティビストたちと行っている。返還前は、アクティビストとアーティストの活動はあまり、リンクしてなかったが、返還後は、コラボレーションが多いそうだ。彼は、このプロテスト活動がとても楽しいみたいだ。そして、この文脈に近い活動が、日本(東京)に見つからないことに、ちょっといらだっている。以前、メディアクション展で来日したジャスミンが、インドでの女性差別の状況が、日本(東京)で、なかなか当てはまらないことに不満そうだったのとなんだか、似ている。
   このことは、客観的には面白い。プロテストというアクションは、その事自体が、興奮の対象になる。仲間との、共犯感覚もなかなかスィートなものだ。でも、日本人は、それを70年代までにさんざん行って、今は、別の方法を模索しているところなんだ、と私は思うよ。敵を想定して攻撃するのでは変わらないってわかったんだと思う。「もっと民主主義を」という文脈ではないし。やってる人たちもいるけどね。日本人の社会改良は、より実践的になっていると思う。それがなかなか進まないのは事実だけど、あちらこちらの人々が努力していると私は信じているし、感じている。それを実践する時に「プロテスト」の精神/態度が必要なことは多々ある。でも、そんなことは彼にはまじめすぎて「面白くない」だけかもしれない。でも、そのように、文脈の地域差があること自体が私には面白いし、できたらそれを超えて、共有できることがあればな、と思う。あるいは、それがない、ことをわかるのはもっと大事なのかもと思う。文化はグローバル化する必要はないんだ。だけど、知るべきだと思う。なぜなら、どこの文脈もまたいずれ変わるのだから。
彼らのイベント紹介は以下。展示は25日がオープニングです。
http://www.3331.jp/schedule/000824.html


  きのうは、文化庁のメディア芸術祭の最終日に、かけこんだ。ものすごく混んでいて、人の間をかき分ける忍者作法を訓練しに行ったようなものかな〜。展示の仕方への問いも聞くけど、祭りだからしょうがない。インデックスとして、概観すればいいんではないかなと、案外、冷静な私でした。マンガとアニメとゲームは、私は見なかった。別に私が見なくても見たい人がたくさんいるから、いいと思う。
  さて、そのアート部門だけど、大賞をとった大きな音具と言うべきインスタレーションは会場になくて、映像だけなので、「たぶん、すてきと思う」という感想。映像で見る限り、かなり面白そうだった。次の賞の、グーグルのストリートビュウだけで映像を作った作品「Nightless」は、本当にクールだと思う。ストリートビュウには、夜がないっていう発見は示唆深い。つなげて、ナレーションを入れて、ロードムービー仕立てにしていたが、その内容はそんなに大事ではなさそうだったので、全部は見なかった。もしかしたら、「夜がない」ということを何か文学的に表現した内容だったかもしれない。千葉やネブラスカ、アラスカ、マドリッドなどの町が出てくるから、地球の裏側も夜じゃないというわけ。「夜がない」ということをテーマにすると、様々な意味で表現可能だろう。人間が寝ている間に働いているデジタルメディア社会そのものの事だし、いつも覚醒していなければならないという現代的強迫観念にもなるし、眠れないという精神病のことにもつながる。そして、夜がないということは、世界の陰を隠蔽すること、ということにも連想が行く。また、寝ている間に、再生するはずのものができないということ。夜というものが育む豊穣な命の可能性を否定してしまう。第一、陰影を礼賛できないのは日本人としては、文化的損失だ。闇社会がないと表の社会は活気づかない。
   他の作品では、キーボードをインスタレーションの真ん中に置いて、音と車窓風景の連動イメージを見せる/聞かせる作品(「Sound/track」というタイトルだった。)があって、センスが良くて印象に残ったけど、音と映像という芸術の安全領域内芸術的であることの愛着から出てない気がする出る必要がないって考えているだけだろうけど。でもなんか私には物足りないような。それから、私は、3Dのボックスをつまみあげるインタラクティブ(アート部門ではなかったかも)な作品も好きだった。アートではなくて、あくまでテクノロジーの問題かもしれないけど、狭い薄暗い部屋で、人がかがんで、「あれ?」「あれ?」っていいながら、テストしている様子がおかしかった。なんていうのかな、ものすごくローテクなことと、すごくハイテクなことが仲良く、行われている感じ。ちょいださい感じが良かった。クワクボさんのインスタレーション作品は、以前、ICCで見たことがあり、誰もいない会場でひとりで独占してうんと楽しんだことがあるので、あの喧噪の中でももう見ませんでした。部屋に入るために20分並んだけど、2分くら見て、出た。でも、間違いなくいい作品と思う。
 メディア芸術は、知識、感覚、美意識、思想、意識、社会性、そしてそれらの共有感覚、そういう様々な私たちの人間の「インターフェース」を、刺激/訓練/拡張してくれる。もちろん、本当は、そういう「はやりの」メディアを使わなくたって、可能なはずなんだ。だけれど、案外、デジタルメディアの作品は、テクノロジーにかまけているおかげで、硬化した自我意識/美意識/思想への執着が薄まって、今まさに、彼/彼女が大事にしたいと思っている意識や希望のあり方が、ふいに生まれ出る可能性があるように思う。実際は、私は刺激されて自由になっていると思うし、そういう意味では期待できる。デジタルメディアが「自分自身」ではない、というところに、もしかしたらミソがあるかも。メディアアートなんか、おもちゃバカだと言う意見もある意味正しいと思うし、でもそればかりではないってこと。フジハタ先生は「機械に使われて/笑われているみたいで、はずかしい」と言うけれど、そうでもないかも。もちろん、先生が言うのは別の意味もある。
   ミッドタウンの建物を探検するのも楽しかった。六本木って場所を、否定しようとすれば、どうにでも否定できると思うけど、なんか、それもベタだな〜と思い、私は楽しむことにしている。というか、建築というものに関心があります。4階の講堂に行くのは、ちょい迷路みたいだった。そうこうするうちにお腹がすいて、しかし、さすがに、同ビル内の高すぎるハンバーガーにはおそれをなし、少し歩いてモスに入った。けど、こっちのハンバーガーは、なんか、小さくなったみたい。さびし〜..........。ドンマイ。
文化庁のホームページから、各作品のインデックスや説明などを見ることができます。展覧会は終了しました。
http://plaza.bunka.go.jp/festival/

スペインでの、あたらしい作品「Boil Me」については、明日以降書きます。

6.2.11

(改訂)人間はからっぽになるんだ

 ちょっと面白い仕事が舞い込んできて4日くらいそれに、こんつめていてとても、楽しかった。IT系のウエブページを25ページほど英語から日本語に翻訳して、もとのページと同じレイアウトで、日本語のページもどきをつくった。きのうは、ほぼ徹夜で、でも眠くなくて、魔法瓶のポットに、蜂蜜レモン紅茶を作っていれたのに、ちびちび飲みながら身体をあたためて、やった。辞書にないITならではの表現もたくさんあって、勉強になった。
そして、やっと今日の夜7時半ごろに納品終了。クライアントはそれをどうするのかよく知らないけど、プレゼンに使うらしい。役立つといいな。

人間性とアートの関係を考えた。まずは、社会人としてまっとうかどうか。この議論はあんまり意味がないからしない。一般の倫理は、今、ややこしいことになっているから。では、表現者として、どういう姿勢でやっているか。それは、見に行く人には、作品の質を考える指標になるのかもしれない。だけど、時々、本人がほとんど自覚がなくて、何をやっているのかうまく言えない人がいる。でも、私から見ると、口で言っていることより、トータルで表現とは何かを考える上で興味深い方法でやっている。表現に何かを見せよう的魂胆が見えなくて、ある意味、表現にひっぱられて、生きている感じ。うまいこと、どこかのジャンルに入り込めてないから、何したいのか、わからないって人に言われてしまう。他に見たことがない表現だったりするんだ。世間は、俗だから、フレームワークを期待するんだよね。

   じつは、私は美術や、アートの方法自体を愛しているので、人間なんてそれほど重要じゃない。人間は、それらを差し出すためのスプーンやお箸、竿みたいなもんでしかないと思う。人間を通して出すしかないし、人間がセットアップに奔走するわけだから、その重要さはわかってる。人間を通ることがとにかく大事なことももちろんわかってる。でも、最終的には、人間は見えなくなって、完成なはずなんだ。人間的なレベルから離れるためにアートがあると思っている私だから。


  だから、美術展はがらがらで人間がいなければいないほど、いい。図書館もがらんとしていれば最高だ。


  だから、パフォーマンスアートも、その人のふだんのの人柄なんかが出てたら、だめだと思う。抜け殻としての身体であるべきだし、コンセプトをそこにほおりこんで、それを時間という軸を通して、彫刻的に遂行するのだと、思う。それは、その人がプランして、その人のコンセプトなわけだから、その人のものには違いない。しかし、出す時はもう、個人のものではない。と思う。これが私の理想だから人には要求しませんが。


皮肉なことに、シャトーマルゴーの次回のコンセプトの一つに「素顔のアーティストと話す」ということがあがってました。素顔の私なんて、たぶん、いい人じゃないし、話して楽しいのは、ほんの少数のヘンジンな友達だけだと思う。だから、私の場合は、ゲストをおよびしてお話を聞くことになると思います。インタビュウは、私の表現の一つかもしれないから。ちなみにメインのコンセプトは「まちに出て話す」です。5人のメンバーが、シャトーから歩いて行ける範囲の別々の場所に散らばって、そこで「話す」ということをしようと思ってます。観客は、地図を持って、それらをはしごする、というものです。

4.2.11

世界は断片だ

当たり前のことだけど、今見えている世界は、断片だ。だれかに会って、だれかが何かを言う中身も断片だ。大事なメッセージもあるけど、見過ごした方がいいこともある。受け取らない方がいいこともあれば、思いやった方がいいこともある。全体像を想像するのがいいかも。たぶん、想像しきれないけど、これは断片だと思うこと。

少し、道教の本を読んでみた。人間はちっぽけだとして、謙虚に生きる事がよく言われるけれど、自分の身体を日月のレベルにつなげようとする思想や訓練の話は、まずは、想像力の広がりとして、単純に楽しいし、なぜか希望のように思える。日月のレベルになったからと言って、だれかにほめられるわけではなし、人間なんかには気がつかない。


今生きている今の世界も、大きな流れからすると断片だ。今、当たり前のことは、当然他の時にあたりまえではない。生き物、人間の本質は変わらないとよく言うけど、それもわからない。

だからなんでもいいんではなくて、なんか、ゆっくりした気分で、細部を愛してみたいじゃないの。