17.12.10

ワークショップ:ことの運び


3月に、スペインのジローナ大学で、パフォーマンスアートのワークショップをします。日本と比べると、たぶん、パフォーマンスアートはそれなりに、アートとして理解されている分野なのだろうと思います。そんな先進国で何をしようかな。

もうプランを出せということなので、悩んだけど、とりあえず、今年9月に、多摩美でやる予定だった(2日かけて考えたのに、消えていったプラン)ものをやる、という方向で行こうと思います。
タイトルは「ことの運び」この日本語の意味は深い。
写真は、ジローナ大学のキャンパス。紀元前からある町だよ。
多摩美の場合は、インストラクションを用意したが、ジローナでは、各自が見せたいことを、各自で表現してもらったらと思う。日本人は、自分でコンセプト/アイデアを選ぶことが苦手だが、スペイン人は与えられることが苦手かもしれない。いかに、自分の考えを表そうか、やっきになるのかもしれない。この辺は、行ってから、様子を見てきめたい。16歳から36歳くらいの人が、学生にいるそうです。

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具体的なものを「運び」ます。「運ぶ」ということは、時間がかかります。日本語には「ことの運び」という言葉もあり、物事の経過を表します。それは、彫刻でも絵画でもなく、時間を要した表現となり、しかも、その時間を作り出すのは、自分自身の身体と意志です。

実際のモノを「運ぶ」というごく日常的な行為をベースに、パフォーマンスアートの可能性をともに経験したいと思います。様々な日常的なモノを空間のひとつのサイドに用意します。それらをもうひとつのサイドに運ぶ、というパフォーマンスを行います。その際、私は複数のインストラクションを用意しますが、どのインストラクションが、誰にあたるかは、くじ引きになります。
運ぶモノを選び、運ぶ方法、手順、スピード、時間配分などが、表現の要素です。

 短い時間ですから、完成した良いパフォーマンスが望まれているわけではありません。日常におこなっていることにほぼ近いことを、他者に見せることにより、それは解釈の対象になるという経験です。他の人たちは、あとでパフォーマーが何をしたか、見えたことを話します。インストラクションの内容をあてることが目的ではありません。見えたことの感想でもかまわないのです。表現として、意識/無意識に出てきたことを、検証します。
その会話をした後、もう一度ずつ行います。2度目は、自分がしたいイメージあるいはコンセプトで、運びます。これについても、また、話し合います。

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*関係ないですが、このblogではなくて、ホームページの方、少し改修しました。日本語で読みやすくなりましたので、良かったら、覗いてみてね。