27.8.10

プレイベントWS「お邪魔フォト」


















*ディスロケイトプレイベント

 2010年8月29日(日)14:00〜17:00
 3331Arts Chiyoda 夏休み企画「東京の多様性」参加イベント  
  進行:太田エマ(ディスロケイトディレクター)、山岡佐紀子

  内容:1.MediActionsの紹介、参加アーティストの作品紹介(DVDなど)
     2.Prilla Taniaによるパフォーマンス(インドネシアからのSkype)
     3.秋葉原散歩Mapづくりワークショップ「マッピングデート」
      報告と参加者によるトーク
     4.パブリックスペースというコンセプトについてのディスカッション
     5.ワークショップ体験 入門編「介入出会いショット(仮題)」
       ナビゲーター/山岡佐紀子 
       デジタルカメラをお持ちの方は持ってきてください。
                       PCに取り込むためのケーブルも。
         写真は10月30日〜13日の3331ArtsChiyodaでの展示に発表されます







ワークショップは、アキハバラの繁華街にでかけて、カップルや家族ずれに話しかけて、スナップ写真を一緒にとってもらうことをします。
たいしたことはないんですが、町で会った人と結べる関係の可能性についてのワークショップなんです。
でも、ちょっとお邪魔虫なので、「お邪魔フォト」というタイトルも考えました。「介入出会いショット」とどっちがいい?
添付の写真のようなこと。邪魔な感じが、ちょっと可笑しいでしょう。
これらは10月末の展覧会で、発表されます。



しかし〜。アートの意味も変わってくるよね〜、このごろ。



23.8.10

しかし、やっぱりナンセンス

個人的には、アートはナンセンスなものが好きです。好きだし、大事にしたいです。今時は、こういうのは、自分たちで企画するのが、一番。表現力を鍛える、楽しむのは、やはり、ナンセンスなものだと思うのです。アートは本当は社会に役に立ってはいかん、と思っている。それが本当の戦いだあ。
観客の方々に、社会とパラレルな、真正のアートをおとどけしたい。

それで、
そんなことを考えているはずのメンバーを集めて、始めたのが、
シャトー・パフォーマンスアート・マルゴー
というイベント。会場が、シャトー2Fという場所だから、この名にしました。

略称はだんだん「マルゴー」になって来た感じです。でもかまいません。
さて、シンプルに行いたいです。11月にもあります。できたら、1月もしたい。3月もしたい。
コアなパフォーマンスアートの好きな人も、パフォーマンスアートってなんだっけと言う人も興味があったら、是非、武蔵小金井まで、来てくださいね。



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第1回 オープンワイナリー(イベント)

2010年9月12日(日) 15:00



5つのパフォーマンス作品



村井元、直方平ひろと、門倉緑、山岡佐紀子、村上裕




入場料/1500円(1ドリンク)


武蔵小金井駅より徒歩5分 小金井市本町6-5-3 


予約/問合せ missinginciyt@gmail.com




会場には電話はありません。
迷った人は私に電話を。始まっていたら、出られませんが....
シャトーというマンションの、道に面した商店部分にあります。元レストランです。
カフェがありますので、2杯目の飲み物は、注文できます。


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村井さん。長いこと知り合いですが、一緒にやるのは、初めてです。ナンセンスと言えばこの人と言ってもよいくらい、背負ったもののなんにもない(なんて言ったらおこられるか)、軽みと渋みと諧謔味が、きいた表現です。なぜか、やすらぐ。

直方平さん。ご自分で、「村井さんに似たところがあって」と言ってましたが、一見近いところがあるようで、まるで反対側な場所にいる人だと感じます。つまり、彼の場合は背負ってる。それに、引き算に引き算を重ねてゆく。ストイックなのだけど、迷いを隠さない。見る側はその迷いに引きつけられる。

門倉さん。若いのに、パフォーマンスアートの本道を歩くかのような表現をする人。NIPAF現役メンバーです。頭がよくて、パフォーマンスアートでなされるべきことは何なのか、あっと言う間に理解してしまった人のようです。技巧派であると、私は思っています。

村上さん。本人は、パフォーマンス経験が少ないと言っていますが、結構、達者です。そして「アートは政治だ!」と叫んで、わたしを威嚇しています。そのアグレッシブさと、内に隠した詩人のような繊細さが、表現の現場で、ぶつかり合う、そういう表現の人。


各人のセルフプロフィールは、マルゴーブログの各人から見てください。



以下は、村上さんのデザインしたフライヤーです。




裏は私がデザインしました。デザインてほどでもないが。





20.8.10

しばらくの予定

最近、大変、まずいことになったなあと思うことがあり、それをどう、解決するか考え中。全く、個人的なことで、この場合、他者は全く関係ない。簡単には、解決つかないけど、徹底的にやらないと、事態は悪化するだろう。
今日は、その対策の第1日とする。


今後の予定としては、9月12日に、小金井シャトー2Fで、パフォーマンスアートマルゴーというイベントがある以外は、当分、MediActionsが中心となる。


マルゴー
の方は、徹底的に単純にパフォーマンスアートのイベント。わたし以外に、4人が行う。http://chateau-pa-margaux.blogspot.com/
ここでは、とことん、ナンセンスなパフォーマンスをしようと思う。9月12日、午後3時より。


MediActions
は、http://www.dis-locate.net/mediactions/
太田エマさんの企画。テクノロジー、ローカリティ、ジェンダー。特に、テクノロジーとローカリティである。9月26日に、海外アーティスト3人のウエルカムパーティ。アジアの女性たちである。彼女たちにとっては、レジデンス9月末からワークショップが毎週あって、パフォーマンスは10月9日。展示は、ワークショップとディスカッションの記録展。ということは、作品と言えるのは、イフェメラ(陽炎)のように消えていくパフォーマンスただ1日で、あとは、どちらかというと、パブリックな場所でのインタラクティブな作業やディスカッションということになる。つまり、他者と関わり続ける。完成された作品というより、全体が「ワークショップ」と言った感じ。このMediActionは、エマさん個人のプロジェクト、ディスロケイトhttp://www.dis-locate.net/の流れを汲んでいる、コミュニケーション重視の実験的アートイベントということになる。意欲的と言うべきか。ちょっと、山岡悩んでいる。何ができるか。この件で、秋葉原のことを調べていた。だが、作品として、何かを作るためには、もっと考えなきゃ。ワークショップを考えるなら、もっともっと考えなきゃ。これは11月13日まで続く。途中、東京経済大学で、粉川先生のワークショップにも出る。ワークショップの定義について、エマさんとよく話し合わなきゃ.......


今日は、その会場となる3331Arts Chiyodaで、プレゼンみたいなのが行われる。エマさんがmスピーチをする。3331のキュレーターチームによる「TOKYO DIVERSITY 都市の多様性」展 8月20日(金)~29日(日)のオープニング。これからでかけます。


それから、Cannons and Musesのイスラエルでの展覧会は、9月。私としては、日本側の学生がちゃんと内容のあるいい仕事をしてくれるかどうか、確認することと、イスラエル側が行うレポートを、こちらの月刊イスラエルに掲載するための翻訳やら、写真整理などの仕事を行います。これは、10月以降になる。.......日本の学生さん、むずかしいです。イスラエルの若いアーティスト(こちらはもう卒業していて学生ではない)の方が、連絡が取りやすい。
たぶん、これは、パブリックへのセンスの違いでありましょう。よく知らない人、あるいは、自分のテリトリーの外の人との関わり方が、日本の場合、なんていうのか、アバウトになるのだと思います。
それが、終わったら、とりあえず、この企画は終了。興味を持ってくださった方たちに、心より感謝します。一応、わたしはC&Mの、オーガナイザーではあるのですが、これからも。
何ができるかな。http://cannonsandmuses.org/indexhibit/index.php?/people/admins/

16.8.10

「美しい校門プロジェクト」記録集への文

  5月に参加したインチョンの「美しい校門プロジェクト」の施工が終わりに近づいたらしい。それで、プロジェクトの記録集を作るということで、エッセイを書くように言われた。エッセイというか、何か文を、ということだと思う。
  5月に参加した時は、地域にオープンであろうとする気運がとても高かった。校門の脇の座れるところに、父兄や近所の人たちが、座っておしゃべりをする、という場所ができ始めていた。私はそれが面白くて、そのアイデアを元にして、想像力を膨らませたプランを考えた。ローカルコミュニティの拠点の一つになりえると思ったからだ。官の作った場所と地域社会が協力し合える場所だと思ったから。
 ところが、そのあと、6〜7月の間に、韓国では、小学生の女子が何者かの連れ去られ、性的いたずらをされるという事件が相次いだ。そのことがあり、校門のプロジェクトは、やや、守りに入ってしまった。最近、最終プランがどうなったか知らせてきた。入り口が小さくなったようだ。プランに参加したアーティストたちの案がどれほど、通ったのか、今の時点ではわかりにくい。確かに、私のプランは大きすぎてはいたので、何か一部でも採用されているといいな。
  ローカルコミュニティが、犯罪者や孤立している人と、どういう関係が持てるか。投げかけられた問題は、かえって深くなる。 文章では、やはり、私が感じた「可能性」の話だけにした。「問題」に対して、彼らがどういうディスカッションを行ったのか、わからないので、そこには、ここでは踏み込めない。



以下がその文。時間に限度があるので、ネイティブにチェックしてもらう暇がなかった。英文として、だめだめな文かもしれないけど、それを送った。

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Urbanization and Restoration of Local Community

  I want to express a lot of thanks to The Gate Project and Inchoen Foundation for Art and Culture for inviting me to the residency project.
 I believe that it was excellent idea for foreign 4 artists who came from various countries to participate to plan a new school gate in Incheon. It was really appropriate idea for the oldest elementary school in the city where has international port, not only “air” port but also important port for “ships” in age of opening to Western, it must be symbolic gates to the world. I liked to compare the renewal school gate with Inchoen International port where young people take off to the world. We, the foreign artists got various information about the school and visit the school to communicate with the school students, which are for the research to find the special aspects of character of the school that should be emphasized for the new design.
  The director showed us the past 3 examples by the gate project in this city. I was impressed very much to see those designed gates were not just “points” for students to come in and go out, but also the gates were “spaces” to open for the local community to meet neighbors. I felt that it might has changed the “modern” image of where schools were places to train children under controlled in hard enclosure into more “positive” image of place where were faded border lines to be as public places not only for students but also for / by local community, I was very interesting for me.
  Parents wait for students there. They sit there. They chat each other. → The other passenger (neighbors) can join. The space become natural and “initiative” public place. → It may be information place to gather local subjects. They can watch at people who pass by and children who go back to home. Children can glow up in and saved by local community. → Not only for children, but also for old people who live alone can come to work and find friends and to get helps each other. → Some various generation can meet there They may have project to use the space → It may be peculiar culture. It is very interesting!
 Public schools were founded by Government. But it would be wonderful that local community can work together. Especially under recent urbanized society, most of local communities are losing the role for people’s daily life. Obviously it is global question. I believe the way of Gate Project is the expectable one for hope of “restoration of local community”. It would be   one of important potential energy for welfare public service, too. The system must rescue isolated people who lost job or health or family so on and then prevent various crimes before.
 Additionally I believe that artist’s idea could be pleased well to people who use the place. Not just only effective but also more kind of “fun”. We are not architect; I thought that we should plan much different way from designers or carpenters. The space should be creative, not just only for the security. It is the reason that we stayed for 3 weeks and did much discussion in May. I hope that our ideas have been reflected well to the final design. And students and local community would feel it familiar and suitable for their life.



10.8.10

市民の表現手段、としてのメディアと、わたし

もし、無条件で受け入れられるコミュニティがあるとすれば、それは、そこに住んでいると言う場合です。日本ではとりあえず、それは保証されている。もし、私が外国人であっても、おおよそ大丈夫でしょう。この「おおよそ」がかなり心配ではありますが、ここでは、この点は置いておきます。私は、無条件ではアキハバラには受け入れられない。東京のアートというコミュニティでもはずれている。東京を普段利用している東京とその周辺の市民という意味では、通過、短期滞在を許されている。

今朝からきのうの続きとして考えているのは、秋葉原という町と、一般的なローカルな町との決定的な差は、秋葉原がそこに住む人だけによって「生活」されている町ではないということです。秋葉原は、東京駅からほんの3つめの、しかも乗換駅です。東京近辺の方たちにとっての利便性を高めるあるべきだと東京都が考えるのも、当然かもしれません。電気街、パソコン、ITとくれば、先端技術のラボを誘致するという文脈は、一応成り立ちます。でも、電気街の商品と、先端技術はずれています。電気街の商品は、オタクカルチャーにシンパシーがありますが、先端技術は、国家や大企業主導のものです。文脈はあっているけれど、このことで、電気街にお金が落ちることはあまりないに違いありません。電気街から見ると唐突でも、それ以外の市民から見ると、納得いくものかもしれない。いつまでも、オタクカルチャーが続くわけでもないし、あくまでも、サブであり、あれほどの一等地を牽引していくカルチャーではない。

さて、MediAction としては、どうなのでしょう。MediActionで言っているメディアとは、官主導のものではなく、市民の自分たちの表現手段としてのメディアです。それは「おたく」のメディアとも、「先端技術」のメディアとも違うように思います。

秋葉原で、多くの人を殺してしまった若者は、ネットでの他者との交流を、頼りに生きていたと言います。ネットでの会話は、しばしば、オタク会話になりがちです。「市民の声」である、その区別はどこにあるのか? ここがまだ、私は、わかってない。


そして、もう一度、戻りますが、わたし自身は「点」の人間です。様々な人とのつながりはありますが、それはニットとはなっていない。私の声を、「市民の声」と言うことはできないと思います。とすると、ここでのわたしの表現はどうなるのでしょう? あるいは、わたしの「点」の表現を、市民が、なんらかの方法で、支持する(おもしろがる)、という形が望ましい。もしかしたら、「オタク」カルチャーに似たものなのかもしれない。分類では、そうなってしまうけれど、そのあたりの違いを考えてみたいです。





東京というコミュニティと私

自分を振り返る暇も少なく、様々に起こってくる問題を考えております。考えの方は、発展しているようですが、目に見えることの変化は少しです。

MediActionsという展覧会に参加することになっており、そのプレイントとして、昨日、Mapping Dateという秋葉原の町を、歩いて、地図を作る企画があり、参加しました。その機会にと、先週「秋葉原は今」という本を読み、秋葉原について調べました。自分の興味としては、まずその町の変遷、それから、再開発計画で、様々な人たちの考え、都合、思い、希望などが、どう進展して、どんな結果になっているのかも、興味深いものでした。歩くと、とにかく、窮屈な町です。のびのびできるところはほとんどありません。様々な文化があると言われていますが、どれも、消費者として関わらなければ、良さがわかるというものではないでしょう。ぶらぶらして楽しいという町ではないです。わたしは、昨日は2人の参加者とともに、再開発ビルのどこまで、自由に入れるのかどうか、という視点で、侵入しました。すぐに警備員さんに止められます。3人で、いろいろ感想を言いながら歩くのは楽しかった。なぜ、これはこうなのだろうか、などと推測、想像、妄想しながら。なかなか良いトリオでした。
ただ、個人的な悩みとしては、そういったリサーチを行いながら、どう自分の芸術家として関わり、作品を作るか、がまだまだ、ぴんと来ていない、ということです。
まず、ローカルなコミュニティ 対 行政の都合、という構図があります。ローカルなコミュニティというものが、人間の生きていく基盤に必要なものだということはわかります。だから、芸術家としての立場は、コミュニティ側にシンパシーがあります。
しかし、これまでの、私のストリートでのパフォーマンスは、無責任なことに、旅人としての行動でした。コミュニティのための行うということは、全く、ありません。参加型と言っても、参加してくださっている方たちと共有しているものがあるわけでもありません。避けていたからではなく、縁がなかったというべきでしょうか。「私のコミュニティ」ではないから。もし、彼らがアーティストに何かを求めたとしても、彼が求めていることがあるのであって、私の芸術家としてのキャリアで積んで来たことが、彼らの求めていることとつながるかどうか、わからないのです。

わたしは、社会から孤立した人間として、作品をやってきたのです。

わたしでも人間ですから、なんらかのコミュニティに参加しているはずです。私のコミュニティといえば、もっとエリア的に広くて、「東京」と言う場所です。そのことを、今年はじっくり感じたいと思っています。なので、この企画はその第一歩です。でも(笑)、わたしは埼玉県人です。ははは。ことはシンプルではない。
東京というバックグラウンドには、アートは驚くくらいたくさんあります。正直、わたしが付け加えるべきことがあるような気がしない。皆さんの欲しいものは、もうすでに、たくさんあるんではないですか?

縁があって、エマさんというキュレーターが、わたしを彼女の企画に、入れてくださいました。感謝している。他の人になくて、私にあるものがあると、考えてくれたのです。私は、ここで考えています。
私はたぶん、秋葉原の町会の方たちに、喜ばれるような表現をしてきた人間ではないのです。技術も、テクノロジー系とは言いにくい。身体というメディアを扱って来てはいる。わたし、独特の、物事との関わりかた、これしかありません。
わたしが、育んできたことと、この企画との出会いで、何かがスパークして、現れることを祈っています。でも、まだ見えません。やはり、孤立している、ということでしか、どうしようもありません。

昨日は、展覧会会場となる3331ArtsChiyodaから帰る時、少し歩いて、上野駅まで行きました。東上野口という入り口から、入りました。階段がたくさんあります。その階段の所に、たくさんのホームレスの方がおられました。増えました。ショックでした。ざっと見たところ、30人はおられると思います。わたしには、このことの方が、ずっと、胸にせまる。電気街の商店がつぶれても、長い事、儲けてきたんだし、永遠ってのはないでしょう、という気持がいます。そうだ。シンパシーがあまりない。

誰のために表現をしているかと言うと、結局のところ、全く自分のためなのです。社会人として、言葉を発する私とは全く違った、私の心をさらすことしか、しようがありません。そして、共有できる人が、おられればうれしい。私は、それの心を特定の個人のものだと思いません。特殊な誰かとしての、自分ということは考えたことがありません。むしろ、匿名的な私の気持なのです。やはり、だから文化なのです。社会から食み出てしまうような気持ちを、誰だって持っている。その気持へのシンパシー。そうなのです。それも文化でしょう。はぐれてしまう気持ちを、拾うことが、私の倫理。社会への抵抗なのです。

だから、どうしたら、良いのか。私が立っているところに、私がすることはありますか? それはやっても良いことでしょうか。



6.8.10

Mapping Dateのためのメモ

  • 川、橋(昌平橋、万世橋、淀橋?)、舟運 江戸時代から神田川の舟運があった。明治以降は秋葉原には、貨物駅ができて北方の物資はここで、舟に積み替えられて、東京都内に向かった、そうです。ここでの「淀橋」は、実際は新宿にあったもののことを言いますが、ヨドバシカメラが今できている場所は、舟溜まりのあった場所。因に、国策でできた日本通運は、秋葉原に本社を作り、全国の運送業者を集めました。その本社があった場所に今、真っ黒の住友不動産ビルがあります。
  • 境目、角 どの町でも気になる物。見落とされた情報がつまっている。
  • パーツ屋(オーバークロッカー)その歴史ともに。
  • 廃校デザインと萌え系の意外なつながり  
  • 萌えてる人はだれ
  • 住民とその高齢化、子供たち(朝)
  • 看板 電気店的看板の走りの町だから。
  • 古い飲食店(もともと少ない、この町で食事をする人は少ない、しゃれた飲食店を作ってもつぶれてしまう。デンパ系、オタク系はグルメからほど遠い人々?)、多分意外に多いかもの焼き肉屋(万世がらみ。万世もはじめは電気店)、労働者のランチ、再開発ビルの勤労者のランチ
  • ラジオ会舘、海洋堂
  • ニッチだからこそ、ネットビジネス フィギア屋、コスプレ、メイド
  • メイド、メイドをナンパする男、男がメイドのメイド喫茶、メイド喫茶のセクハラ 路上で堂々とメイドのビラ配りにウラ価格を聞いている男達をみたことあります。
  • 再開発後のビル UDXビル、ダイビル、タイムズタワー、住友不動産ビル、洋服の青山(旧ヤマギワ)しのびこみ? やりたい。
  • 駅構内の迷宮化 これも気になるところ。隠れた興味深い場所があるかも。瀬や淵。
  • 町内の回遊コース リピーターの多い町。多くのリピーターは同じ道を歩くという調査がある。これはどうやったら知り得るのか。マップがでているのか。
  • wifi環境
  • 現在のラオックス(現、中国資本「蘇寧電器」)
  • 中国人客 蘇寧電器の企画したツアーがバスでやってくる
  • 外国人客(オタキュ研究)オタキュはフランス人の発音。どんなものも哲学してしまうフランス人の興味。欧米のミーハー文化人観光客の意識調査。
  • 外国人ワーカー
  • エステ、デリへル
  • キッチュ、クリシェ、オタク(オタキュ)
  • 産官学連携 デジタルハリウッド大学、東京大学、電機大学、明治大学、アキバテクノクラブ 以上は、再開発ビルにある
  • アキバ犬、犬とモバイル
  • 手塚プロ どこかのあるらしい
  • 唯一残る経営者と社名が同じ電機店、オノデンの生き残り   というのは、多くの電機店は「外資系ハゲタカ」「中国系ハゲタカ」「ヤマダ電機」などに、身売りしていて、
    見た目も中身も生き残っているのは、オノデンと、ヤマギワだけだそうです。
  • 淀橋アキバと船だまり   在、ヨドバシアキバがある場所は、かつての神田川舟運があった時の、船泊まりのあったところらしいです。
    因に、アキハバラの再開発は、地元住民、地元電機街組合、東京都、JRなどはいっしょになって、計画したそうですが、JRか東京都かのどちらかが、あの場所を、ヨドバシに売ってしまった。電気街としては、裏切りと感じても当然?