24.1.11

デュオで学んだ事、反省など

今週は16日(日)、19日(水)、23日(日)とデュオでした。つきあっていただいたサエグサさんと冨士栄さんに感謝いたします。
これは、もともとシャトーマルゴーの企画で、1月16日のために、シャトマルメンバーで、相談して決めたお題(決めたのは11月中)です。そこではサエグサユキオさんにいっしょにやっていただきました。残りの2つは、1月になってから降ってわいたイベントで、せっかくだから、似た形式を続けてみようと思い、こんどは冨士栄秀也さんにつきあっていただきました。この2つの会場は、月の湯という護国寺の風呂屋と、埼玉県行田市のパン屋さん。

私がこれを通じてしようと思ったのは、「他人のしたいことに耳を傾ける」ということです。私は作品に限らず、いつも、どこでもかしこでも、私がしたいことを、自分で決めてぐいぐいやってしまいます。それで、抵抗されたり、無視されたり、回避されたりすることもあります。でも、案外、私の案が通ってしまうこともよくあって、なんか、いつでも一人でやっている気分になります。それで、少し、他人の考えに参加するようなことがしたいと思いました。作品でも。

結果から言うと、こちらから誘ったということもあり、彼らは受け身だったかなということ。受け身なのに、イニシアティブを握らされて、少し、困惑していたんではないかと思います。サエグサさんとは3回のミーティングをしてテキストを一緒に決めたので、割と、一緒に作った感じはあります。サエグサさんはパフォーマンスアーティストだけど、割と即興のことが多い。そこで、今回は作ってやりましょう、と声をかけました。表現についての意見を交わしたりもした。相談した結果、聖書を10分くらい、「銀河物理学入門」と「冠婚葬祭入門」とを5分ずつ、交互に読むことにしました。表現をしない、そして、座って読むということを決めたのはサエグサさんです。聖書に対して、仏教書を読むという選択肢も考えましたが、いいテキストがないので、二人で書店を歩き回って、残りの2冊を決めました。この3冊の組み合わせにこのパフォーマンスのハートがあると思います。イベント会場では、窓ギワで、後景に町の交差点が見えるところに座りました。ライトは一つだけつけて、静かな感じを演出しました。室内は暖房が入っていて、外は夜だし寒いので、曇りガラスになりました。雰囲気というものがあったらしいです。反省としては、私が、声の出し方を決めることができなかったということ。楽しいときはたのしく地味な文では地味に読むだけ。これで良かったか。これが心残りです。さらに、テキストは開いたページから、直観で好きなものを選びましたが、その選び方の相談はなく、流れにまかせていたのでこれでいいのか、よくわからなかった。曖昧な部分は、それぞれがそれぞれの判断で埋めるわけなのですが、ここのところが、どうも互いに、もやっとしていたように思います。


冨士栄さんとはなんの相談もせずに行いました。冨士栄さんはボイスパフォーマーです。しかも、即興専門です。いつも、楽しそうに声を出しています。そこで、文字通り彼のすることに「耳を傾け」ました。そして、彼は私のコンセプトにはいっさい関心がありません。彼が彼の即興ボイスパフォーマンスを行い、私がそれを同時にまねる。19日の月の湯では、私が女湯にいて彼は男湯。これは「なぜ私はここにいてあそこではないのか」という有名なアイデンティティについての言葉をイメージしました。お互いは見ることができません。私たちの立場の違いはそれだけではありません。彼は声を出すと、まるでオートマティカルに私の声(へたな)がかぶり、それは彼にはコントロールできません。かぶっている感じを、変えることはできるそうです。でも私をやめさえられない。やめさせるために、彼がやめるということはできる。一方、私は、いつでもやめることはできるし、変えることもできるという立場でした。彼の声を聞きながら、自分の声を決めました。23日パン屋では、ふたりは同じ空間にいて、結構近くでいっしょのアクションをとっていましたが、私たちは決して「ツインスターズ」ではなくて、「パーマンと似てないコピーロボット」の関係です。一見仲良さそうに見えたかもしれませんね。勝手な行動もとるコピーロボット。先にやっちゃうこともありました。だんだん予測がつくから。さて、お客さんにはどう映ったでしょうか。私がどのくらい下手なボイスだったのか、私にはわかりません。案外、様になってたんではないかと思います(笑)。私がもしかして、今後うまくなり、いわゆるかけあいボイスパフォーマンスになってしまったら、ほとんど意味はないので、もうやめます。


学ぶところもたくさんあったけど、作品としてはどちらもいまいちだったかも。ごめんなさいね。お客に私がいれば、いろいろと分析してみたりすると思うのだが、身体はひとつ。あっちにはいけない。

それから、他人との協力方法については、また、さらに経験していきたいと思います。表現でも、生活でも。