30.6.09

クニだ、クニだ

わたしは、20歳のころは、完全なノンポリだった。そのころ、反戦や反体制など政治に関わっていた人もいたらしいけど、今ほど多くはないと思う。その前の政治の季節が終わったところだった。うちの姪は、あと1日で20歳だけど、自民党のなんとかという議員を応援しているらしい。彼女は、左翼系に行くのかと思っていたら、違っていて、どちらかというと、ナショナリストみたいだ。
わたしが、20歳のころも、政治はそれなりにやばかったのだと思う。だけど、就職もバイトもあったし、楽しめることだらけだった、政治を無視しても、全く困らなかった。たぶん、その頃から、ツケは、どんどんたまって来たのだと思う。
私などが、言うのはなんだが、まずは雇用の創出で、その次が、老人問題だ。順番の問題ではなくて、この2つが最も深刻。
たぶん、誰が考えたってそうだと思う。

だけど、わたしは、ここに至って、仕事においては、ノンポリで行こうとミニ決意する。(アナーキストではなくて。選挙にも行くし、新聞やネットで政治は監視する)とにかく、でないと、何か、わたしが大事に思うことが、消されてしまいそうだから。生活文化のすみずみまで、政治は関わっている。だからこそ。
とても、ポリティカルな態度として、政治を、道徳を、社会の問題を解決するための動きには、関わらない。関わらないというポリティカルな態度だ。ポリティカルなものをつくるしれない、きっとする、でもそれは、アピール目的ではないでしょう。

ふたつの態度がある。そのどちらかに見せたどちらか、というのもある。自分の大事にしていることが、何かわからなくなる、言えなくなる、できなくなる、正義の為に、あるいは、その社会のために、というのが怖いから。

聖地のあった場所が、スーパーマーケットに変わったとしても、そこで、礼拝する信者のように、していたい。

と考えております。どないでしょう。

写真は、スタグリネッツ村の機械工具屋のおじさんと。職場に行った時は、無愛想だったのに、後で会ったときは、すんごく、良い笑顔で、すんごい仲良しのような気になった。

25.6.09

何かが失われて

おととい早朝帰国。きのうは、取手に、ある夫婦を訪問。

クロアチアのことは、何から書けばいいのか。

言えることは、「何かが失われている場所」。
たった数日なので、クロアチア全体を言うことはできないし、アート全体を言うこともできない。

もうひとつ浮かぶ言葉は、「避難所」。
これは、最初、ネガティブに感じていたけど、けっこう、面白いヒントになりえると思う。

もうひとつは、アーティストの役割、という古くて、解決のつかない疑問が再び、わたしを襲う。ロンドンからの年配の女性アーティストにぶつけてみたけど、どうやら、彼女は、考えたこともないようだ。

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目がかすむまで、畑しかないところを、露に濡れながら、南へと歩いた。川もあったけど、水がなかったから、下って上った。目についた草花を剪定はさみで切り、背中のバスケットに入れる。あざみの大きなようなのがあり、ちくちくした。川底には、ガマの穂がたくさんあったので、剪定はさみでちょきんちょきんと切る。フェスティバルのサウンドが、遠くなるのを気持ちよく感じながら。1時間程歩いて、そして、また、北へ戻る。フェスティバルの会場で、剪定してきた草花の束とともに、短いパフォーマンスをして、さらに北へ向かう。1時間程行って、また戻る。デュレーションパフォーマンスなんだけど、喧噪の中で、それを感じた人はどのくらいいたか、不明。そして、とにかく、日やけた。身体がひりひりする。この作品は「Wind from Sky」。もっと長い時間歩きたかった。

すべてのプログラムが終わった後、「みなさん!協力して欲しい事があります!」とわたしは、叫び、インドネシアでした作品、例の「We are Elegant」を観客とともに行う。4時間の立ちっぱなし、休憩なしのイベントで、疲れているだろうに、多くが協力してくれた。「I need good camera!」と叫ぶと、小屋の2階の窓にテレビカメラが上ってくれて、皆にカメラを向ける。「お〜〜」と雄叫び。わたしは、「Look to our future!」なんてロックンロラーみたいなことを叫ぶと、皆が、「あ〜〜〜」とか「お〜〜〜」とか、声明みたいな声を続けたので、驚いた。誰からともなく。終わってから「なぜ、もっとやらなかったんだ?」とスタッフに聞かれた「みんなはもっと協力したかったんだよ」
やりすぎて、しらけることをいつも気にしているわたしとしては、複雑。場の空気をを読むって本当にむづかしいと思った。

実は、オーガナイザーは、なぜだか、このパフォーマンスをなんとか、させないように、わたしに、意地悪をし続けていたのだ。でも、やっちゃった。もっとやれば良かったなんて言われると、もっとずうずうしさが必要なのか?と思ってしまったりする。ビデオは、VHSでとっているようだし、約束しても、送ってこない場合が多いので、半分、あきらめているけど、お見せできる日がくればいいね。
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帰ったら、ドイツに在住の大先輩、Takako Saitoさんから、手紙が来ていた。心配してくれている。
「大切なのは、あなたが何を欲しているかです。あなたがどう感じているかです。それを1つ1つ明らかにしていくのだと思います。それは自己中心的になるということではなく、まったく、反対のもので、いかに自分の心の中におこる(他の中にいる自分)ささやかのものを見逃さないで対面するという意味です。」と、書いてあった。

16.6.09

墓地

なぜこの町に3日もいなければならなくなったか、説明は省きたい。観光地は苦手。今日はとても辛い一日だつた。小さい水族館へ行き、少し離れたところにある墓地に訪れる。自己主張の激しい墓石たちにおどろく。カラー写真がはつてある。幽霊が血まみれで生々しく出てきそうできみ悪くなつた。教会と離れている分譲墓地みたいで、せいぜい五十年くらいの感じ。落ちつかなくて嫌になった。
夕方から波止場の近くの松林の中で、寝転んで読書して、だんだん自分を取り戻す。
あしたはやつとザグレブにもどれる。WifiのFreeな環境が今度いつあるかわからない。

14.6.09

ロビン

クロアチアのロビンという町のカフェにいます。iPodから入力する。なれないから少しか打てないかも
。昨日ベネチアに日帰りで行った。ビエンナーレは、私をおおいにリラックスさせてくれた。
あまり力んだ作品は少なく、感性の自由さ、繊細さ、知的なユーモアが、心地よい栄養のように染みてきた。詳しくはまた。
ベネチアは確かに美しいけど、わたしは忙しすぎて、走っていた。3日後までロビンに帰る船がないから。乗り遅れると大変なことになるから。

船の上で友達ができた。Dutyfreeshopの売り子の男の子。何しに来たのかと聞くので説明すると、天国のほうか、地獄のほうかと聞く。なにかと思うと、アートはそのどちらかだろうと、いう。で、一応、天国のほうだと答えておいた。

ロビンは軽井沢くらいの規模の観光地。ローマ帝国時代からある港町。ドイツ、フランス、イタリアからの観光客で賑わう。アジアの人間はまだ見ない。そういえば、ベネチアにも少なかった。アジア系はだいたい中国人。

日本一ビンボーなアーティストの私がなにしてるんだろう。あちこちにかりができた。

8.6.09

でかけます

6月11~23日の間、でかけてきます。世界中どこでも、良い日がつづきますように。
12〜15日は、港のあるRovnjiという町にひとりで泊まります。船でベニスに日帰りができるそうなので、あきらめていた、ベネチアビエンナーレに行けるかも。一生に一度かもしれない地中海での滞在が、ひとりってのも、ちょいと寂しいが、お友達でも見つけることにしよう。でないと、ベニスに死すの主人公の音楽家みたいになっちゃいそうだもんね。


3.6.09

カラシニコフとその発明

そういう人が実際にいた人だとは知りませんでした。というか、考えたこともなかった。
おねえさん、そこのショウガの横のカラシニコフください。はいよ、うんときついやつ、2つね。今日は、大勢でおでんかい?

2.6.09

失踪

Air Franceの飛行機が失踪中である。missing
わたしが10日後に乗る飛行機も、Air Franceだ。母に言ったら「当分、用心して飛ぶから大丈夫よ」と。そんなものでしょうか?

わたしの作品の中の、迷い子のような、変な作品『Missing in Yokohama』の横浜ワンダー編を圧縮してアップしました。なぜ、あんな変な格好になったのか、思い出せない。それに、本気で、心配してくれる人たちに、申し訳ないと思わなくてはならないのかもしれない。

こんな作品よくある、とよく、いじわるを言われる。いろいろな人が不快になったり、するみたい。

ワイド画面なので、ここの埋め込み画面ではなくて、Youtubeの画面で見た方がいいです。

1.6.09

あなたの鼓動に耳を傾け

という作品。
英語タイトルは、簡単に「Listen!」
30分くらいの作品を、8分に編集。