9.7.14

暴力は自分に向かっている、それで良い。

私の部屋の伝教大師像

自分の気分がやりたくないことを、無理にやらせようとする。
私はそういうことをする。皆さんもするよね。
私の身体は猛烈に反発する。
あなたもそうですか?

今は、相性の悪い分野の人たちが書いた資料を読もうとしていて、身体がいやがる。でも、私は知りたいのだ。頭が知りたがっている。
..... 頭と身体、という分類も私は怪しいと思っている。
何と、何の、対決なのか、わからないけど。
身体がぴくぴくして、落ち着かなかったり、寝ているしかないくらい、「落ちた」感じになったりする。

でも、やるぜ。

私は割と暴力的な方なので、それが外に出る時と、内に行くことがある。
去年くらいまでは、外にも随分行ってたし、それはトラブルも生んだ。
そして、それを楽しんでくれる人もいる。
その頃の作品を見て、私に依頼してくれている人もいて、しかし。
このごろは、
その暴力が内側に向かっているので、
作品は一見、外からは、ソフトになったように見えているかもしれない。
「その頃の作品を見て、私に依頼してくれている人」は、私の最近の作品を見て、変わったと言ってた。
だが、彼の存在に感謝している。
私がそのことを忘れないために。
たぶん、
人は変われないから。

このごろ、私は私を責める。
「森」での生活で、ちょっと、癒されたふりをしてみた。
いや、癒されたのではなくて、懐を深くしてきたのさ。

だから、こうやって、また、自分をいじめ始めている状況に、たじろかない。
ゆっくり、
それが成熟するのを待っている。

作っているフォトブックのタイトルを、Walk to the lakeに換えた。この方が、詩的だし、一応、パフォーマンスアーティストとしては、動詞、の入っているタイトルの方がいい。


アートっていろんなことができる分野だと思う。遠慮することはないのだ、見ている人はいる。見てもわからない人もいる。
あとは、
運だぜ。