24.9.11

帰国しました。




バンクーバーから帰国しました。1890年代から始まった日本からの移民のコミュニティ、そして、先進国最悪といわれるスラムである、ダウンタウンイーストサイド(DTES)のふたつを取材する作品をしました。



気難しいオーガナイザーとのやりとり、危険の度合いがなかなかわからない町との関係、様々、精神力を試される機会でした。私は、なんとか、ベストを尽くせたと思います。そして、自分のスタンスがより明確になってきていると思います。

13.9.11

人と関わる

今年前半を振り返ってみて。
人と関わることについて、改めて考えています。
できるだけ、チャンスがあれば関わった方がいいに違いありません。しかし、エモーショナルな部分に振り回されないことが、私には大事かな。

しかも、そこそこ、というのが、大事。ついサービス過剰になってしまう。過剰になるとこっちはサービスのつもりでも、相手には、そうは映ってないでしょう。


明日から23日まで、かなだ、バンクーバーに行ってきます。
最初の2日は、しっかり町を歩いて、人の話を聞いて、そこでできることを見定めたいと思います。

以下のは2007年のジョグジャカルタでのもの。ある村で、エレガントなアクションを見せて欲しいと言って、やってもらっている。これらをプレゼンして、協力者を求める予定。







12.9.11

世界のへそ、バンクーバーバージョン

2008年に、港町往来ワンダララプロジェクトのプレイベントというのをしました。そして、プレだけで、本展はしませんでした。場所は横浜。世界の港町、グラスゴー、マルセイユ、香港、ボストンという4つの町からアーティストを呼んで、近代から現代の、各港の人間の生活、経済、文化のの推移をテーマとした展覧会にしたかったのです。しかし、アーティスト(プレなので、国内作家だけ)は参加してくれたけど、アーティストだけでなく、関わった人たちのほとんど誰もが、理解できないアイデアだとのたもうた、もうほんまに、ノイローゼになりそうな、企画でした。
今でも、どこが間違っているかさっぱりわかりません(笑)。でも、それは「企画」ではなくて、「作品」でするべきなんだろうな、と思うことにしました。


今週の水曜日から、私の仕事をしにゆくバンクーバーも、そういえば、港町なのだと言うことを思い出しました。まだ、明治になったばかりの頃から、日本からの移民が何日も船にゆられて、たどり着いた町なのです。港には、移民、そして失踪、失業者はつきもの。


約1週間で、あまり長い滞在ではありませんが、そこで2つの作品を作って来ようと思っています。準備は2つしておいて、現地で新しいものを思いついたら、3つやってしまうか、持って行くアイデアのうち、1つはやめて、2つにするか。行ってみないと条件が判らないので、準備は大事かなと思っております。


用意するのは、「We are Elegant」という、インドネシア、クロアチア、イスラエルでやってきたインタビュウ型パフォーマンス作品。これはたぶん、日系移民の町で女性たちを巻き込んで、面白そうな場所を選んで行なうかもしれません。結構、人気のある作品なんですよ〜。



もうひとつ用意するのは「世界のへそ」。これは、横浜のドヤ街、寿町で2006年に行なったワークショップ型写真作品で、別のところでは、まだしたことがありません。しかも、別にあまり評価されていません(笑)。バンクーバーでの、やりたい町は「ダウンタウンイーストサイド」。先進国最悪のスラムと言われているそうです。失業者、ドラッグ、などなど。通行する方たちに、おへそを見せていただき、デコレーションして撮影します。お土産に石けんを差し上げます。
どちらも、私の姿はあまり見えない作品です。いわゆる人がイメージするパフォーマンスアート作品ではないですね。

久しぶりに「世界のへそ」の資料を出しました。このポスターのだささが、好きなんです。








6.9.11

美術作家、そして、ほほえみの給食センター

美術作家という言葉を久しぶりに思い出しました。しかも、肯定的な意味で。

現在開催中の所沢ビエンナーレを見に行き、感じたことです。最近は、アーティストという言葉の方が聞かれることが多いし、私も使っていました。アーティスト、となると、アイデアやコンセプトを重視している感じがあり、美術作家というと、ものをつくる人たちという感じがします。ものをつくることで、思考している人たちだと思います。

所沢ビエンナーレは、前回は2年前くらいでしょうか? あまり、良かったとは思えなかったです、正直。80年代のモノが空気なしで、そのまま、運ばれてきた感じがありました。80年に活躍した美術作家たちが、集まって、企画したものだと聞いています。現代の流行物に危機感を感じ、抵抗して、創られた展覧会という感じでした。だけど、なんか、負けているように思いました。でも、今回は、いろいろと楽しめました。なぜでしょう?



その理由は、展示場所から来る条件の違いではないか、とふと思いました。作家の選び方が変わったから、というのは、もっぱらの理由らしいですが、作品の1つ1つと言うよりは、場所の違いにより、展示の方法も違ったのだと思います。